ゲニウスロキII

麗しきふるさと「人・もの・くらし」の物語



湯の町別府の根差すところを、別荘・病院・職人などを中心に、およそ2000枚の写真と筆で描く近代史。

人聞がある土地に住むのはいわゆる宿命のようなもので、人は土地との物理的、精神的なつながりなしに生きることはできません。

筆者にとって別府温泉は、生涯を通じて居住した地です。ここにひっそりと生きていると、別府とは何なのか?それが逆に分からなくなってしまいます。

故郷のことは何となく知っているような気持ちになっているだけで、新聞や雑誌、市史・町史・社史といったものの撮影にカメラマンとして携わっているうちに郷土の事を知り、今の自分があるのですから、やはりこれは知らなくてはならないと思うようになったのです。

過去の歴史があっていまの自分がある。
著者がこの資料をまとめた意味もそこにあり、デジカメ時代の中で、過去のアナログ写真の時代の美術写真とは異なる「写真を読む」という世界がある事を多くの人々に知ってほしいという願いもここにあるのです。
この資料から多少でも別府温泉を知っていただければ幸いです。

上下するスライド窓

上下するスライド窓



コンペンションタワーから見た和田邸

コンペンションタワーから見た和田邸



中山別荘時代の和室

中山別荘時代の和室



平田雅哉設計の中山別荘和室内部

平田雅哉設計の中山別荘和室内部



第3期米軍接収時代1946(昭和21)年〜1956(昭和31)年
1946(昭和21)年、日本耐火工業株式会社に所有権が移り、同年、アメリカ占領軍に接収され、1951(昭和26) 年から1955 (昭和30) 年まで、アメリカ軍187空挺部隊最高司令官ウィリアム・ウエストモアランド中佐の宿舎として使用され、接収中の1953(昭和28) 年に関西工業株式会社に所有権が移る。1955(昭和30)年、同社は米軍別府ちかまが(チッカマウガ)キャンプの508部隊勤務員と賃貸契約を結ぶ。

これによると賃貸料は1ヶ月72,000円、敷地は4543坪、建物は木造2階建て、住家は242坪(l階189 坪、2階53坪)木造スレート葺き平屋建て6坪の車庫、木造平屋建て浴場3坪であった。

中庭の蹄濁園を散策する故鈴木博之教浸

中庭の蹄濁園を散策する故鈴木博之教浸

ベラン夕、の床はタイル張り

ベラン夕、の床はタイル張り


第4期関西興行株式会社所有時代
 1956(昭和31)年〜2006(平成18)年米国占領軍の別府駐屯は、1945(昭和20)年~ 1956(昭和31)年まで続き、米軍撤退後は、再び関西興行株式会社の別荘として利用されたが、2006 (平成18)年に敷地の再開発計画で全てが消えた。
和田豊治邸から中山悦治邸へ

和田豊治邸から中山悦治邸へ



玄関かう見たお手値えの松

玄関から見たお手値えの松



図面作りのボランティアの面々

図面作りのボランティアの面々



第二次世界大戦でナチスドイツに破壊されたポーランドのワルシャワの町。
この時、設計図を地下道から運び出した学生たちが戦後復興させた話があるが、今はない別府の三大別荘のひとつ旧和田邸(中山別荘)は、完全な図面を市展望台から丸見えとなり別荘の価値は半減が作成し、各パーツの寄贈を受けて保存している。
亜米利加屋の別荘はツーパイツーの建物なので銘木はない。そこでこの別荘を「クローン建築」と位置付けて再生されることを夢見ている。

藤田洋三

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